寺報第2号のインタビュー記事についての補足

お知らせ

お世話になっております。
12月ごろにあげさせていただきました寺報「乗雲」第2号について、能美潤史師とのインタビュー記事を盛り込ませていただきましたが、実は内容の半分ほどを削って載せておりました。
印刷の関係上、ページ数を増やすことができず、苦肉の策としての処置でした。

ただ、それからしばらくしたら全文をこちらのホームページに公開しようと思っておりまして、そこからもう3か月もたっておりました。
ということで、申し訳ない気持ちもありつつ急いで全文を投稿しようと筆を執った次第です。

前置きが長くなりましたが、以下全文。お読みいただければ幸いです。

インタビュー能美潤史

2025.10.11

住職
本日は大学時代の恩師でもある龍谷大学教授であり、広島の安芸教区にあります圓立寺副住職でもあります、能美潤史先生にお越しいただきました。教願寺報恩講法要ではご法話いただきましてありがとうございます。
それではインタビューをさせてもらいます。よろしくお願いします。
取材前にアンケートをさせていただきましたけれども、ここからこの答えに対して深掘りさせていただく形でインタビューさせていただきたいと思います
まず1問目あなたにとって浄土真宗とは何ですかという問い。かなり広い意味合いの質問だったと思うんですけれども、その中でお答えになったのが人生のよりどころというところですね。「人生のよりどころ」浄土真宗の中でも、阿弥陀様のこの教や願いというところによっていくというようなところがあると思いますが、改めてどういう意味合いでこういう答えになったのでしょうか

能美潤史
ワンフレーズで「人生のよりどころ」と書かせてもらいましたけど、私がたまたまお寺の跡取りとして生きてきたんじゃなくて、兄が急に「お寺継がないぞ」と言って末っ子だった私が跡取りになったんで、自分なりに「お寺の跡取りってことはお坊さんになってやっていくの?」と考えたときに、自分なりに浄土真宗ってものをしっかり理解したいし、味わいたいっていうのがありました。それが23歳ぐらいのときかな。 そのときに『歎異抄』とかいろいろ読んでみて、正直な感想を言うと、「で?」ていう感じで「これを、ありがたいって思ってかなくちゃいけないの?」みたいな。本当にそれは正直なところで。 そこから結局でも食わず嫌いしちゃいけないと思って、とりあえず「親鸞さんが書かれたものは全部読んでみよう」「本願寺の法話もどんどん聞きに行ってみよう」とがむしゃらに何年かやって(学んで)、もう一度一番最初に「え?」となった歎異抄が、四・五年経ってもう一度読んでみたら、今度はもう鳥肌が立って。「こんなすごいこと書いてたんやっけ?」という感じでした。
そこで、自分は「知識でわかろうとしてた」ということに気づいたんです。 「これ知識でわかる教えじゃないんだな」というところからだんだん(理解が)深まってきて、あとはね、私43ですけど、その20代30代40代入っていくと、特にお寺の跡取りとして前にどんどん出るようになったら、もう本当に小さい頃仲良くしてくださったよくしてくださったおじいちゃんおばあちゃんのお葬式とかも行くようになってきて、やっぱりこう、お浄土という世界が、ただ単にそれが説かれてるとか教えられてるじゃなくて、お浄土にどんどん明かりがともっていくというかね。あの人もこの人も、最近は私の親が80超えて「もう10年も20年も一緒にいるわけでもないかもな」という。 お浄土っていう世界の捉え方っていうのがかなり現実的にあったかいものとしあらわれてきました。
今日御法話の中でも言いましたけど「死んだ後の教えじゃなくて今、今ここにね、なんまんだぶつになって、 阿弥陀さんが届いてくださる」というお話で、お浄土っていうのは死んだ後初めて出会っていく世界じゃなくて、もう今ここに届いてるんだっていう。 そういう私の学びの中とか、お参りの中とか、年齢の深まりとかいろんなものを含めた上での「人生のよりどころ」と、そんな答えなんですよね。
だから私は今「もうこの教えがないととてもとても、ただただ虚しいだけの人生だな」と考えています。

住職
非常に短いその言葉の中ですけれども自分の経験の中に、形づくられるこの言葉であるわけですね。ありがとうございます。
次2番目の質問です。仏教の中での浄土真宗の特徴を一つ挙げてくださいという質問です。仏教の中というと日本の中でもいろいろな宗派があって、その宗派の中でも同じ考えとは限らないというふうな中で、この浄土真宗本願寺派 の特徴を一つ挙げてくださいというふうな中で、「死んでから救われるのではなく、今ここで仏様の声・念仏を受け取り、救われていく」と答えています。難しくいうと「現生正定聚」のお話だと思うんですけれども、これが一番特徴的だと思われたその理由を深掘りさせていただきたいんです。

能美潤史
仏教の中でというと、まず仏教っていうのは基本スタイルは自分で修行して、煩悩をなくしていくというのが基本スタイルですけど、結局、浄土真宗の開祖である親鸞聖人はもちろん20年間で厳しい修行をされたけれども、「自分はこの行では悟りを開けない」考えていったわけです。
やっぱり親鸞聖人の教えを慕う私達も同じスタンスです。私達はこの自分の力で今、仏になっていくということは難しいという。 そこで、命終わった後浄土という世界があるよと開かれて、その浄土教というまた広いくくりで、浄土教の中にもいろんな教えがあるわけです。親鸞聖人のそれまでは、南無阿弥陀仏と念仏することによって功徳を積んで、そして浄土に近づいていくとか、あるいは浄土に行ってからも、浄土というより良い世界で仏を目指していくと、こう説かれるものがある中で、親鸞聖人は「今、南無阿弥陀仏と念仏を通して、阿弥陀様がその届いてくださる。それだけじゃなくて、仏となる徳を全部持って、それを南無阿弥陀仏に込めて届いてくださるんだ。 つまり、私達はもうお念仏の教えをいただけば命終わった後はお浄土に往けるし、仏に成らせてもらうんだ」といただいていくんです。 これが浄土真宗の一番の中心であり特徴ですよね。 「本当にならしていただくんだ」と「やっぱり先だった方も仏になられてるんだ」と仰ぐ事ができて、仏になられてるということは阿弥陀様と同じように、「なんまんだぶつ」になって「今」私のところに届いてくださってる、包んでくださっているという教え。他の浄土教というのはやっぱりある意味死を待つというその場だけの歴史の中では自分から命を絶って「早くお浄土へ行こう」と考えた人もいますけど、浄土真宗はもう「今」なんだと。
「いつでもどこでも」というフレーズがありますけど、あれなんか最近CMで「いつでもどこでも繋がる」とか言っていて、軽いフレーズに聞こえてくるので、いつでもどこでもってあんまり今お説教で言わなくなって、「今ここに」と言っているんですけどでも、今、本当に今ここにもう救いが届いてるっていうもうこれがやっぱ何よりも大事な特徴ですね。

住職
そうですね。僕も星野元豊さんが書かれている書物の中に、親鸞聖人がなぜ阿弥陀様の教えに傾倒するのかというと、いろんな仏の教えがある中で、偉い位の仏になるにはこれだけの修行しないといけないというふうな教えがある中で、「今私が救われる教えが何なのかを知りたいんだ」という、「仏の位なんて関係ない」というようなところがあるんじゃないかと考察されていました。やっぱり必死さっていうのが当時の親鸞聖人が抱えていたところがあるんかなと。それを考えたときに、やっぱり誰でも「今」救われていく教えっていうのが、親鸞聖人も必要だったし。 それは翻って今私達にも必要なものなのかなと思ったら、確かに浄土真宗の特徴の一つで大事なところなんだなと思います。

能美潤史
親鸞聖人が必要だったのはやっぱりそこで、親鸞聖人は「結局、死んだ後救われるって言われても、それじゃ今のこの自分に救いはないんだ」というね。今降っている苦しみの雨が「今」冷たいんだから、死んだら大丈夫だと言われたってってやっぱり今、今ここでね、救いに出会っていくっていうのが、ありがたいと感じたのだと思います。

住職
ありがとうございます。
そしたら次ですね、三つ目の質問です。「現代において僧侶が担うことのできる役割はどんなものがあると思いますか」というところです

住職
「お念仏が広まる邪魔をしない生き方をする」と答えていました。「念仏が広まる邪魔をしない」要は私達が仏様の邪魔をしてしまわないようにというようなところだと思うんですけれども。

能美潤史
やっぱり龍谷大学で教えてると、ゼミで卒業論文を指導したりすると、最近は卒論も伝道において「日本でSNS使ったら便利です」とか「フリーペーパー作ればいいな」とか「漫才法話やれば若い人も」とか書かれているんです。それは大事なんですよ。 大事なんですけど、卒論でそういうことをたくさん書いて、それを真宗学の卒業論文としても出そうとするんだけど、それはただの方法であって、「運用すれば便利ですよ、こうすれば人が来ますよ」と方法とか企画イベントを提案しているだけであって、それは別に浄土真宗の僧侶じゃなくても、そういう方法は考えることもできるし、私達が今やるべきなのはもちろんそうやって方法とかツールを見つけたり考えることも重要だけれども、僧侶が考えるべきはそこじゃないんです。
数年前に龍谷大学で、 「日本仏教に未来はあるのか」というシンポジウムがあって、各宗派の代表のお坊さんが集まって、いろんな宗派の代表者が、「うちのとこではホームページをこんな充実させて」とか「うちのとこではSNSを活用して」とかすごくいろんな「こういうふうな政策をしてる」「こういうアイディアを持ってる」とかいろいろ言っている中で、浄土真宗の代表者として龍谷大学の内藤智康先生という先生が発表されて、その先生がまさにおっしゃっておられたのが、「今からの時代、僧侶が浄土真宗の僧侶が利用すべきものとか、こういう役割があるとか、 そういうことよりもお念仏が広まる邪魔をしないということが大切である。邪魔をしないというのは、例えば浄土真宗の僧侶がお参りするときは、もっともぶった顔して、お念仏して、法話で「阿弥陀様の慈悲が〜」とか言いながら、普段は高級な車に乗ってパチンコやってて、美味しいもん食べて、夜になったらクラブに飲み行って、おねえちゃんと楽しそうにとか、そんな日々を日々送ってる。そういう姿を御門徒さんが見たら「なんか坊さん偉そうにありがたそうに言ってるけど、実際こんなもんなんだ」「お坊さんが言ってることなんてあてにならんわ」となると、それはもう僧侶に対してあるいは仏教・浄土真宗に対しての信頼を失う。邪魔をしてしまう。 だから念仏の教え自体は素晴らしいけど、お坊さんの生き方を通して、仏教の信頼を失っていく、お坊さんの方が教えが広まる邪魔をすることになるんだ。だから邪魔をしない生き方をすることが何よりも大切な伝道です」と言われたんです。
浄土真宗の僧侶も御門徒と同じ凡夫であるから、いいことばっかりできないし失敗もある。酒の好きなお坊さんは酒も飲みたくなる。私もそうだけれども、しかし、「お念仏の広まる邪魔をしない生き方を少しでもやるんだ」という、この心掛けをするかしないかで、非常に変わってくるんじゃないかなと。 だから、役目役割とかこういうことができるとか、そればっかり追求するんじゃなくて、まずは基礎的な自分の生き方として、僧侶がお念仏の広がる邪魔をしない生き方をすることが何よりも肝要だと、そうおっしゃる内藤先生の話に私は本当に感動しました。本当に印象に残る話であったので、あらためてここに書かせてもらいました。

住職
身につまされる言葉であります。僕も、能美先生のもとで、同じような伝道の分野で卒業論文を書いた記憶がありますが、伝道の一番大事なところっていうのが「曲解されない」ところかなというふうに僕は思っていて。 やっぱり教え自体が素晴らしくても、お話する人が何か間違ったこと、あるいは間違ってなくても、その言い方が間違っているように聞こえてしまうようにしてしまうと、そこからどんどん話が広がっていって、それが今の世の中では特に取り返しがつかないのかなって思います。
インターネット、SNS、いろいろなツールがある中で、短い言葉でいろいろな言葉を説明してしまう世の中で、やっぱり思い思いでその言葉を発信して、またそれが色々なところに発信されていって、結局は全く違うところに行き着いてしまうということがあるので、それをしないようにちゃんと考えていかないといけないなというところで。 結論があんまり出ないままでレポートを出した記憶があります。

能美潤史
いやいや、頑張っていいもの書いてくれていましたよ

住職
でも本当に邪魔をしないっていう考えは確かにそうなんだろうなって思います。それでも思うのが、僕もよく飲みに行くんですけれども、いつも行かしてもらってるバーで、出会ったのが若い女性の方で、 その方が「仏教について教えて欲しい」というふうに言われて、その方は両親が身を置いている宗教事情でいろいろ複雑で、仏教の知識はそこから聞くけれども、どういう意味かがわからないと、それで相談されたこともあるんです。
やっぱりお酒飲むバーであっても、普段はそういう固い場では聞けないようなところも、そういうふうな柔らかいところでなら聞けるっていう方もいらっしゃるので、一概にそこに行くのが間違いというわけでもないのかなとも思うんです。

能美潤史
飲みに行くのはいいことですよ。その中で、節度は大事というところで。

住職
そうですね。なるべく邪魔しないような形で伝えられたらと思いますね。
それでは次ですね「教授を目指したきっかけは何ですか」というふうなところで、先ほどお話も出てきたと思います。兄が婿養子に出てしまって急にお寺の後継者となって、そっから自分なりに研鑽をしていった結果としてたまたま教授をさせていただくようになりましたというふうになっております。浄土真宗で言うならばこれをご縁と言わしてもらうんかなと思うんですけれども、ご縁というのはたまたまだけでは続かないようなところもあるのかなと僕は思うんです。 そこで、今まで続けられた理由も踏まえてお話聞かせてもらえたらと思います。

能美潤史
本当に兄がお寺継がなかったから、東京で4年間大学行ってて急に方向転換で、大学院から龍谷大学来て、仏教の教えの勉強を1からスタートして、そのときは確かにがむしゃらに勉強しましたね。 兄がたまたまあの大学院の博士課程っていうとこまで行ってた人だったので、私もそこまでは勉強してみようかなと思って。 博士課程っていうところに行くと、学会発表で論文とかも出します。私は東京の学生時代は、訓点語学って言って、日本の漢文の歴史とか読み方とか、そういうものを専攻していました。その辺の視点から親鸞聖人の書物を研究してて、論文出してたら本当にたまたまその龍大の中でちょっと面白い視点から研究する若手がいるぞと目をかけてもらって、非常勤講師になり、そっから博士課程出るとき博士論文っていうのを、 私がやってた日本語学という視点から書いたら、やっぱり面白い視点だと言ってもらって、専任講師と言って龍谷大学の正規の職員になり、准教授、今年から教授とならしてもらったんですけど、確かにたまたまなったというだけで続けていけるというわけではなくて、やっぱりやってたら研究が面白いというのとあとはやりがいがありましたね。
お寺出身じゃない子っていうのが、龍谷大学の真宗学科でも増えてきてますけど、そういう子がね、最初「仏教なんて興味ないです」と言ってた子が、4年後にはすごい興味持ってたり。あるいはお寺じゃないですけど将来お寺やりたいとか言ってたりとか。 そういうような学生見るとね、やっぱりやりがいありますし。あるいはゼミ生が、住職として素晴らしい活躍してるとか。
だからこの仕事っていうのは、自分が研究としても面白い興味もあるし、そして学べば学ぶほど、また親鸞聖人のありがたさもわかるし、そしてまた人がね、こうやって育っていくという、現場に携わるっていうのは、私のようなものが教育的な立場にいるのはどうかと思うんですけど、 やりがいと研究の面白さという面が大きいです。 そこにたまたま教授という肩書きついたと。 教授というのは肩書きですからね。 お浄土まで持っていけるわけじゃないので。 本当にたまたま肩書きをいただいてるというだけですね。

住職
なるほど。教えている学生がそういうふうに言ってたらすごくやりがいになりそうですね。でも本当に最近は、僕が(大学に)行ってたときもそうですけど、真宗学科の半分は僧侶とは関係ない一般の家庭から入っている人がいましたね。ただ、やっぱりそれでもそのきっかけを通して、いろいろ知ってくださるというのはすごくありがたいかなと思います。

能美潤史
そこにやりがいがあるんですよ。

住職
ありがとうございます。
その次、五つ目ですね。「教授として心がけていることはありますか」というふうな質問ですが、「教えるという気持ちを持たないこと。一緒に学んでいるのだということ。 これは私の母校の慶應技術大学の半学半教(教員と学生とがともに教えたり学んだりする関係性にあるという考え方)に大きな影響を受けています」ということでございました。
教えるという気持ちを持たないこと。一緒に学んでいくというのは、能美先生のゼミで2年間学んでいましたが、確かに学生に寄り添った人という印象でした。慶應義塾大学の方でもこういうふうにみんなに接しているのでしょうか。

能美潤史
そうです。本当たまたま私、東京に出たいという思いから、ご縁があって慶應大学行って、その慶應の精神というのはそこに書いた「半学半教」半分学び、半分教える。教員であっても、別に完璧に極めてるわけでも何でもないから、半分相手に教えて、半分また学生からも学ぶんだという、そういう精神のある学校で、。たとえば、慶應の中では、教員であっても学生であっても全部「くん」付けというね。だから、どれだけ偉い人が来ても、キャンパスの中入ってきたら、来賓紹介のときも、全員くん付けというね絶対上下を作らないというあの雰囲気が私は本当に好きだったんですよね。
だから学生時代も教員に何か質問あって、「これ聞いていいのかな」「君わかってないよとか言われるのかな」とか、そういうドキドキ感はなくて、「先生これどうなんですか」とか質問すると、向こうもそういう雰囲気の中なんで、偉そうに喋るとかいうことがなくて。 「 確かに面白い視点だね」とか「それはちょっと今度授業の最初のときにみんなで考えてみよっか」とか言って、そういうみんなが対等な雰囲気の大学だったんで、私はね本当に好きだったんですよ。
だから、龍谷大学で教員になったときも、慶應の学生と教員の雰囲気みたいに、ああいう雰囲気でやりたいなって思って、それは私の中のモットーとしてあって。 今でも学生とも院生ともよく飲み行きますし。

住職
なかなかすごい学校ですね、

能美潤史
半学半教は創始者福澤諭吉の精神ですね。人の上に人を造らず人の下に人を造らずという。

住職
でも格言通りに自分がまず行動するというのが、やっぱり世の中的には難しいかなと思いますが、すごいですねそこまで実践されるというのは。
なんというか、やっぱり僕らの業界の中でも、やっぱり暗黙のルールじゃないですけれども、かなりそういう古めかしいところがあるので。難しいところは重々承知ですけれど、同朋を言う私たちも実行できればいいのですが。
そうしたら次ですね「仕事で特別に取り組んでいることはありますか」というところで、これは教授という立場でも僧侶であったり、あるいは御自坊であったりですが、その仕事の中で特別に取り組んでいることはありますかというところで「実家のお寺で3ヶ月に一度、『浄土真宗初めの一歩』という講座を開催しています。これまでお寺参りや浄土真宗の教えに関心がなかった方々を対象とした講座で、近年はこの講座に特に力を入れている」と答えていらっしゃいました。
『 浄土真宗初めの一歩』こちらは「関心がなかった方々を対象とした講座」というふうなところなんですけれども。 これは完全に一般の方々なんですか。

能美潤史
これはご門徒さんやそうじゃない人に関わらずです。きっかけはやっぱり、おじいちゃんおばあちゃんが歳をとってお参りに行けなくなって、子供さんたちはいても、お参りされなかったり、都会に出ているとかで、お寺にお参りする方が減っているっていうのはもう目に見えてわかる中で、妻と一緒に考えて、初めの一歩っていうのを、第1回をやってみようと。最初はもう20人ぐらい声かけて15人ぐらいのスタートでやっていましたが、だんだん軌道にのってきて、私がパワーポイントで、スライドをお見せしながら紙芝居みたいな感じで、わかりやすく喋りますからって頑張って。会員さんが今81名まで増えました。
もちろん全員が都合が合って来るわけじゃなく、それでも40人から60人ぐらいが毎回来てくださって、去年は20回記念で酒蔵巡りみんなでしたり、それで一般の方々もご支持いただいて、「うちは浄土真宗の門徒だけど何にもわからないよ」という人とか、「お寺参りはどうしたらいいの」という人ひっくるめてとにかくきてくださいって宣伝して。

住職
最近はこういうふうなことをされる方もちょっとずつ出てきていますが、ただやろうと思うけどどういうふうにしたらいいのかわからないという方もいらっしゃる中で、御門徒だけでなく一般の方も含めてもう誰でもというすごいですね

能美潤史
特別に力入れてます。

住職
いい話を聞かせていただきました。
では次ですね。これは門信徒に向けた質問ですけれども、「門信徒におすすめする書籍一つ挙げておすすめポイントを教えてください」というところで、「大きな字で読みやすい浄土真宗やわらか法話」というふうにいただきました。
まだ第1巻の本当に最初のあたりぐらいまでしか読めてないんですけれども、大きな字で見やすいというこの言葉通り、字が比較的ポイント数が高く、法話自体も身近なものを題材とした法話が集められているような形でした。先生方に至ってはあまり見かけない方方も結構いらっしゃったんですが。

能美潤史
これは本願寺新報に「みんなの法話」という記事に連載されたものを、同じ出版社がある程度年齢層若めの方で、話がわかりやすいものを厳選して、中には名の通った先生も何人か入れてバランスを取って編集した法話集です。

住職
なるほど。また近いうちに本堂にこのインタビューで紹介していただいた本を飾るところ、作ろうと思ってますので、そちらに全5巻まで出てるので全て飾らせていただこうかなと思っております。
そして最後ですね「門信徒に向けて伝えたいことを教えたいことはありますか」というふうなところ、こちらですね「偉そうなことは何も言いませんが、お念仏とともに生きることで人生が豊かになるということは胸を張って言えます。 お念仏を大切になさってください」と答えていただいたところですね。
「お念仏とともに生きる。これが人生が豊かになる方法である」といただいておりますが、全体の質問を通して、そういうふうなお話が度々出てきてると思うんですけれども、やっぱり「お念仏」この浄土真宗の中で言えば特にこれを大切にしていって、これをただ大切にするというか、意味合いをちゃんと考えて生きていくと、人生が豊かになっていくっていうふうなところ。一番最初の質問に帰ってきて「人生のよりどころ」にも通ずるのかなと思いますけれども、やっぱり門信徒に向けてというところではこれが一番大事なところですかね。

能美潤史
結局、「ただ生きてただ死んでいく人生なんだ」と、そう捉えたらもう虚しいだけの人生ですけど、梯實圓先生が「人生が虚しいんじゃないんだ、いただくべきものをいただかない人生が虚しいんだ。人間というのは仏法をいただく器として生まれてきたと捉えると、器に仏法を満たす人生なのか満たさない人生なのか、仏法で満たす人生ならもちろん豊かになるんだ」とおっしゃっておられました。
人生自体は決して虚しいわけじゃないんだと、自分の生き方が人生を虚しくさせてるんであって、会うべきものいただくべきものにあっていく、いただいていくという、そこが大切かなと思いまして、「お念仏と共に生きることがが人生を豊かにする」と答えさせていただきました。

住職
宗派の言葉の中にも、「自他共に心豊かに暮らすことのできる社会の実現に貢献する」というのが一つの使命としてありますけれども、念仏とともに生きることというところをどう私達がちゃんと伝えていくのか、ここがちゃんと伝わっていけば人生が豊かになっていくんだけれども、先ほども言っていたように、ちゃんと伝えられるかどうか。 ここを、大切にしていかないといけないのかなというふうにやっぱり全体を通して実感していった次第でございます。

住職
本日は長時間のインタビューにお付き合いいただきありがとうございました

能美潤史
こちらこそありがとうございました。

要約

要約
このインタビューでは主に浄土真宗の核心と、現代社会における僧侶の役割について話し合われました。教願寺の住職が教授であり僧侶の能美潤史氏にインタビューを行いました。能美氏は、兄が寺の後継者を辞退したことから自分が後継者となった経緯を語り、その経験が浄土真宗の教えを深く学ぶきっかけになったと述べました。彼は、自身の理解が単なる知識から精神的な気づきへと変わったことを説明し、浄土真宗を「人生の依りどころ」と表現しています。能美氏は、他の仏教が自己修行で悟りを目指すのに対し、浄土真宗では死後だけでなく今この瞬間に阿弥陀仏の慈悲による救いがあると強調しました。また、慶應大学で触発された「半学半教」の教育方針で、学生を対等な存在として接していることも語りました。さらに、自坊で開く「浄土真宗初めの一歩」という講座を通じて、寺の信徒だけでなく初心者も巻き込んだ地域活動も紹介しました。インタビュー全体を通して、僧侶は念仏の普及を妨げない生き方を追求し、念仏と共に生きることが人生を豊かにすることを強く訴えました。

Q&A
あなたにとって浄土真宗とは何ですか ‎

「人生の依りどころ」です。私がたまたまお寺の跡取りとして生きてきたわけではなく、兄が急に「お寺を継ぐことができない」と言って末っ子だった私が跡取りになりました。23歳頃から自分なりに浄土真宗を理解したいと思い、『歎異抄』などを読みましたが、最初は「で?」という感じでした。しかし、親鸞聖人の書いたものを全部読み、法話を聞くなど数年間学んだ後、再び『歎異抄』を読むと鳥肌が立つほど感動しました。知識だけでは理解できない教えだと気づき、年齢を重ねるにつれて、お浄土という世界がとてもあたたかいものとして現れてきました。今では「この教えがないととても虚しいだけの人生だな」と考えています。

仏教の中での浄土真宗の特徴を一つ挙げてください ‎
「死んでから救われるのではなく、今ここで仏様の声・念仏を受け取り、救われていく」ことです。仏教の基本は自分で修行して煩悩をなくしていくことですが、親鸞聖人は20年間の厳しい修行の後、「自分はこの行では悟りを開けない」と考えました。親鸞聖人は「今、南無阿弥陀仏という念仏を通して、阿弥陀様がここに届いてくださる」と教えてくださいました。他の浄土教が死を待つという面があるのに対し、浄土真宗は「今ここに」救いが届いているという教えが特徴です。

現代において僧侶が担うことのできる役割はどんなものがあると思いますか ‎
「お念仏が広まる邪魔をしない生き方をする」ことです。最近の学生は伝道においてSNSやフリーペーパーなど方法論ばかり提案しますが、それは誰でも考えられることです。内藤知康先生が言われたように、僧侶が表向きは立派なことを言いながら、普段の生活が矛盾していると、人々は仏教への信頼を失います。もちろん浄土真宗の僧侶も凡夫ですが、「お念仏の広まる邪魔をしない生き方」を心掛けることが何よりも大切な伝道です。

教授を目指したきっかけは何ですか‎
兄がお寺を継がなかったため、東京の大学から龍谷大学の大学院に方向転換し、仏教の勉強を1から始めました。博士課程まで進み、日本語学の視点から親鸞聖人の書物を研究して論文を発表したところ、私の研究を大切な研究だとおっしゃってくださる声もいただき、非常勤講師から正規職員へと進みました。研究の面白さとやりがいがあり、特に学生が仏教に興味を持つようになる姿を見ると嬉しいです。教授という肩書きはたまたまついただけで、研究と教育のやりがいと喜びが大きいです。

教授として心がけていることはありますか ‎
「教えるという気持ちを持たないこと。一緒に学んでいるのだということ」です。これは母校の慶應義塾大学の「半学半教」(教員と学生とがともに教えたり学んだりする関係性)に影響を受けています。慶應では教員も学生も全員「くん」付けで呼び、上下関係を作らない雰囲気があり、それが好きでした。龍谷大学でも同じような雰囲気を作りたいと思い、学生や院生とも対等に接し、よく一緒に飲みに行くなど心がけています。

仕事で特別に取り組んでいることはありますか ‎
実家のお寺で3ヶ月に一度、『浄土真宗初めの一歩』という講座を開催しています。これはお寺参りや浄土真宗の教えに関心がなかった方々を対象とした講座です。きっかけは高齢化でお参りに来る方が減っている現状を見て、妻と一緒に企画しました。パワーポイントでわかりやすく説明し、現在は会員が81名まで増え、毎回40〜60人が参加しています。門徒さんだけでなく一般の方も含め、誰でも参加できる形で特に力を入れています。

門信徒におすすめする書籍を一冊挙げて、そのおすすめポイントを教えてください。‎
『大きな字で読みやすい浄土真宗やわらか法話』です。これは本願寺新報の「みんなの法話」という連載を、若めの方むけにわかりやすいものを厳選して編集した法話集です。字が大きく、身近な題材を扱った法話が集められています。

門信徒に向けて伝えたいことがありますか?‎
「偉そうなことは何も言えませんが、お念仏とともに生きることで人生が豊かになるということは胸を張って言えます。お念仏を大切になさってください」。梯實圓先生の言葉を引用すると、「人生が虚しいんじゃないんだ、いただくべきものをいただかない人生が虚しいんだ」ということです。人間は仏法をいただく器として生まれてきたと捉えると、仏法で器が満たされた人生は豊かになります。

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