朝は寒く、昼は暖かい日が続く4月~5月の頃。
当山並びに参り合いしておりますお寺にて永代経法要がお勤まりになりました。
当山では新型コロナウイルス感染症が5類感染症に引き下がってより最多の参拝人数でありまして、誠に喜ばしい限りでありました。
そんな中、他寺での法要の折、ある布教師の方がおもしろい法話をされていましたので、そのことについて少し書かせていただきます。
臨済宗に龍安寺と申しますお寺がありまして、そこにはつくばいという茶室に入る前に手や水を清める場所があるのですが、そこには手と口をすすぐための手水鉢に「吾唯足知」と書かれておるそうです。(下がその写真です)
この意味としては「知足の者は、貧しといえども富めり、不知足の者は、富めりといえども貧し」というお釈迦様が説いた「知足」の心をあらわしているそうです。
これを聞いて思い出されるのはお釈迦様の申されました言葉である「少欲知足」でしょう。
少欲知足 無染恚痴 ー少欲知足にして染・恚・痴なしー (仏説無量寿経巻上)
染・恚・痴とは三毒という貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(おろかさ)三種の煩悩のことです。これらが少欲知足であるれば無くなるというのが上記の言葉です。
この言葉は極楽浄土(阿弥陀如来の仏国土)の性質を表した言葉の中の一つでありますが、私たちの生きるこの世界にも通じる言葉でもあるかと思います。
布教師の方もこの言葉を取り上げていましたが、やはり人生において「足るを知る」「今あるままで十分である」という心がけは大切なものでありましょう。
欲望のままに欲しいものを求めてしまえば、手に入れたときは幸福であろうと、それは一時的なものです。すぐにまたより多く、あるいは別の欲望を満たそうと考えてしまうものです。
貧困にあえぐ人々に対して「今のままで十分」というわけではありません。
ただ、お釈迦様は「中道」を歩みなさいとお説きになりました。今の生活で生きることに支障なく、選り好みしなければ寿命を全うできる状態であれば、それ以上を望むことはない(望めば苦に繋がる)という教えです。
それでも人間でありますから、過度な欲がたびたび起こることを止められないことのほうが多いと思います。(私もそうです)
そこで「少欲知足」という言葉にかえってくるわけです。欲を少なくしていく。煩悩を小さくしていく。必要最低限を満たす今のままで十分足りていると知っていく。これらを実践することでこの欲望渦巻く世の中で苦につながる因を少しでも断ち切っていくことができましょう。
これが少しでも安穏とした人生にする一つの考えであろうかと思います。
永代経法要とはこういった仏教を子々孫々、永代にわたって伝えていくための法要であります。
どうか、これからも多くのみなさまがご聴聞され、仏法が少しでも広まりますように。
合掌
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